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研究者志望者における修士論文
研究者志望者(大学教員志望者)にとって、修士論文は大学院博士前期課程(マスター)における教育の集大成であり、極めて重要なものです。また、研究者としての人生は修士論文執筆からスタートするものと言ってもいい位ですので、今後の自分の研究の方向性をどのように定めていくべきかをふまえた上での修士論文執筆が望ましいのです。なかなか決めきれないことも多いかとは思いますが、修士論文執筆においてこれだけは守っておいた方が良いこと、という暗黙のルールが存在します。本日はこの点につき情報発信致します。また、卒業論文の執筆が必要で大学院進学を考えておられるのでしたら一定程度有益でありましょうし、論文もしくは論文に相当するものを執筆予定の方には読んで無駄にはならない内容です。
研究生活のスタート
そもそも、研究者志望であれば(マスター修了直後に助教ポストをゲットするなどという)よほど恵まれたケースでない限り、多くの場合、博士後期課程(ドクター)に進学します。そして、ドクター1年(D1)の段階で修士論文をより発展させた論文を最低でも院生が掲載するいわゆる院生雑誌、可能であれば学内の先生方が投稿している学内の学術雑誌への投稿することがほぼ慣例化しているとみてよいでしょう。また、ドクターの3年間では博士論文の執筆(概ね1冊の本を執筆する程度の力量)が求められますが、博士論文の内容は修士論文とは全く無関係な内容のものを一から書くのではなく、修士論文の内容をより発展させた内容であることが多いことも事実です。要するに、博士論文の一部を修士論文の段階で手掛けているとみてもいいくらいですし、そうした方がすんなりいくでしょう。それ故、修士論文のテーマ設定の際には、博士論文も意識した上でのテーマ設定が望ましいことになります。例えば、理想的な労使関係について研究したいと考えている院生がいるとした場合、博士論文のテーマは「現代社会における理想的な労使関係」となるでしょう。そして、様々なことを検討することが可能になりますが、時間軸で考えるとした場合、戦後に限定すれば、①戦後の混乱期~総資本VS総労働の激しい労使闘争時代、②日本型労使慣行(新卒一括採用、年功序列、家族的経営手法の確立)の確立と功罪、③バブル崩壊以降の日本型労使慣行の崩壊と新自由主義経済における労使関係の模索、といった3点は外せないでしょう。①②③といった歴史的事実の検討をふまえてはじめて、骨太で説得力のある「現代社会における理想的な労使関係」とはどのようなものかを提示できるものと考えます。そして、博士論文の執筆が完成した段階では次にどのようなことを検討すべきなのかについても一応は考慮しておくとよいでしょう。自分が研究者として一生のテーマとして研究するのは何かという点は明確であることが望ましいでしょう。先ほどの例でしたら、博士論文「現代社会における理想的な労使関係」の執筆後は、博士論文を更に深く・広く検討すべく、株式会社における所有者とされる株主や会社債権者である銀行の意向が労使関係にどのような影響を及ぼしているのか、株主・労働者・経営陣・取引銀行全体をふまえた上での労使関係の考察を行う、といった方向での研究が考えられましょう。
以上から、「木を見て森を見ず」にならないことが大切であることが分かると思います。自分が今からやろうとしている研究(論文執筆)は、全体からするとどのように位置づけることができるのか、常に広い視野で俯瞰し自分が今何をどしているのか全体の中で十分に把握すべきです。なかなか難しいことですが、これらのことを意識しているのか否かでかなり差がつきます。
専門性を極めることVS流行に乗ること
上記の内容は、研究者としての正統的かつ理想的な歩み方です。つまり、研究者は自己の専門分野を研究するべきですが、その具体的な内容を示したものです。修士論文執筆だからといって、それだけを考えるのではなく博士論文執筆をふまえた上での修士論文執筆ということ、博士論文執筆を終えたとしても、更にこれまでの研究を土台としたうえでより深く考察すべきです。他方、わたくどもの専門分野である社会科学は社会そのものを研究対象にしていることから、どの分野でも社会的に注目される(メデイアでよく上げられる、政府の政策に影響を及ぼすなど)、流行となる分野が存在します。そして、流行りの分野を好んで研究している研究者がいることにも気づかれることでしょう。
率直なところ、流行りの分野にだけしか研究しない研究者はあまり評価されません。多くは流行りの分野を研究されつつも、院生の頃から一貫して行っているご自身の専門分野をお持ちです。確固たる自分の専門分野があってこそそれに関連する限りで流行りの分野について言及することが許されるのです。つまり、自分の専門分野+流行りの分野、の2分野で論文を書くことが有り得ます。ただし、肝心の自分の専門分野がコロコロと変遷していて、本数はそれなりにあるもののこの研究者はいったい何を研究したいのか訳が分からないと思われる研究手法だとどうしても評価が低くなりがちです。きちんとした大学院教育なりきちんとした研究者から教育を受けていない人間だという烙印をおされることになりかねませんのでご注意ください。
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