目次
なぜこのテーマなのか
本日は、社会科学系の研究者になるために必要となる能力、特に、論理的思考力について情報発信します。私が、大学受験生・学生(学部)の頃には明確には気付けなかった部分もありますが、その後、大学院進学・学位取得を経て大学教員になって然るべき年数が経過した現在であれば、誤りなく研究者になるために必要な能力について情報発信できると考えたからです。更には、大学(学部)のカリキュラムは大学における学びの本質を具体的に示すものですが、そもそも大学のカリキュラムは伝統的に大学院進学・研究者になる方にとって最も適切な内容であると思えてなりません(例「外書講読」等)。もちろん、その後の様々なカリキュラム改革により、多くの学生にとって適切な内容であるように配慮がなされていますが、根本的には上記の点を無視できないように思えます。かくして、研究者にとって必要となる能力について知っておくことは、大学における学びの本質を知ることができることになりますので、研究者志望の大学生や社会人諸氏、ひいては大学進学を考え、大学入学試験に向けて日々勉学に励んでいる大学受験生及びその関係者の方々にとっても読んで無駄にはならないことでしょう。なお、本記事は令和3年4月19日「研究者になるために①」を基礎に若干の加筆・修正を加えています。
必要とされる能力
社会科学系の研究者になるにあたり、次の2つの能力が必須であると伝統的に考えられ、私も同様に考えます。一つは、物事を論理的に考え、かつ、論理的に自らの考え方を表現できる能力(論理的思考力・論理的表現力)、もう一つは、外国語訳読能力(語学力)、の2つです。これらは、研究者に求められる正統的な能力でもあります。即ち、大学院入学試験・大学院教育・学術論文執筆・研究者としてのポスト獲得・昇進(教授昇進、准教授昇進等)の局面において必須となる能力であり、大学教員のポストを得てからもこれらの能力がない、もしくは大きく不足していると、大変苦労することになり、最終的には研究者なのに研究を捨てるような選択をすることになります。実際、論文数が著しく少ない教員、支離滅裂な内容の論文を書く教員がごく少数ですが存在することはご存知の方もおられましょう。そういった教員は上記の能力の欠如、もしくは著しい不足であるケースが大半です。そういった方は、本来であれば大学の教壇には立ってはいけない方なのです。そして、これまでは教授になれば定年まで論文がろくにないような状態でも黙認されていた大学が存在しましたが、近年では、第三者による大学に対する認証評価により論文のない教員に対しては厳しい評価がなされています。かくして、上記の研究者にとって必要な正統的な能力は大学教員として生きていくためには必須のものです。
大学専任教員というポストを獲得するためには、上記の能力に加えてポストを獲得するまで努力を継続することが強く求められます。必ずポストを獲得できるのかどうか確信できず、かつ、入学試験のような明確な基準が示されている訳でもない大学教員人事において、日々感じる将来不安やどう考えても優秀とは思えない仲間が一番先にポストを獲得するという不条理を横目にみながら、論文執筆を継続することは簡単なようで決して簡単ではない面があります。ある種の強さ、図太さ、割り切り、も重要な能力です。ただ、この点については以下の理由により、本日詳論しません。その理由は、研究者に求められる正統的な能力がなければポストを獲得することなど不可能ですし、基本的には正統的な能力に優れていることはポスト獲得をより容易なものにするという傾向にあるからです。そして、大半の研究者は遅い・早いの別はあるものの、最終的には自らの研究能力に相応しいポストに着任しているからでもあります。ここでは、上記の正統的な能力をより緻密に分析するために3つに分けて考察します。①論理的思考力、②論理的表現力、③語学力の3つに分けて考察します。いずれも極めて重要な能力になります。極めて重要な内容になりますので、今回の考察は①についてのみになりますことをご了解ください。
論理的思考力の中身
社会科学系の大学教員・大学院生が行っている日々の研究の多くは、これまでの研究(=先行研究)をふまえた上で行う必要があります。研究には独自性(オリジナリティ)が必須となりますが、自らの研究の100%が独自なものである必要はありませんし、そのようなことは到底不可能なことでもあります。というのも、どの学問分野であっても、過去の研究者(先達)により研究がなされ、理論的な解明がなされているからです。このような過去の先達による研究(=先行研究)をふまえない研究は、もはや研究ではありません。単なる思い付きを書き連ねたものでしかありません。では、先行研究を理解するためにはどうすればよいのか。まず第一に、研究者により書かれた書籍・学術論文を読むことが何より重要です。いきなり最先端の学術論文を理解することまでは必要ないですが、順を追って基本的な書籍から学びはじめ、最終的にはご自身が興味を有する分野の学術論文が理解できるレベルに到達する必要があります。関心がある分野であれば、全部ではないにせよ最先端の学術論文を理解できる箇所があるかもしれません。
研究者により書かれた書籍・学術論文を理解するにあっては、特に社会科学系の学問分野において共通して重要なのは論理的な文章を正確に理解する能力です。この能力が研究者にとって即戦力として必要となるもので、毎日のように求められるものです。この能力があるのか否か自信のない方は、自分の専門分野(もしくは、将来自分が学びたい専門分野)の入門書を特に苦痛なく読みこなすことができるのか否か、図書館等でチャレンジすればすぐ分かることでしょう。更に言えば、高等学校の国語の教科書や教材に評論・論説といった分野が存在しますが、これは要するに研究者の論文です。研究者の書いた論文、即ち、専門的な文章を理解する能力があるのか否か、高等学校では様々な分野を扱うので理解しにくい分野もあると思いますが、概ねどの分野であっても理解できる程度の能力があれば、ハイレベルな論理的思考力を有していることになるでしょう。
要するに、論理的思考力は、要するに論理的な文章を読みこなす力。あえて分かりやすく表現すれば、国語の評論文を理解する力であると捉えてもらって構いません。
そして、先行研究を正確に読み進んでいく中で、ここは違うのではないか、ここはもう少し掘り下げて検討すべきではないか、ここはどう考えるべきなのだろうか、といった文章理解の次の段階としての素朴な疑問・関心を抱くことになるでしょう。このような素朴な疑問・関心を自分なりに整理することが必要です。かなりの部分が自分の誤解・勉強不足であることが多いですが、未だに検討されていない未解明の領域に気付くことも少なからずあります。このような自分の頭の中の思考・思索の内容を文章化することが次に求められることになります。この内容は、論理的表現力のタイトルでより詳細に述べる予定です。
今後
後日、論理的表現力、語学力についても引き続き情報発信いたします。
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