大学専任教員(研究者教員)公募

研究・教育
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要点

 本日は、わたくしの本業である大学専任教員(研究者)の採用実態に関して述べています。とりわけ、大学関係以外で転職を考えている皆様(特に、専門職・研究職に従事している皆様)にあっても、大学教員人事の実態を知っておくことは類似した側面があるかと思われますので決して無駄ではないと考えています。その理由は以下にあります。

 第一に、大学教員採用の特徴は、毎年・一定人数を採用するというものではなく即戦力を有する研究者の欠員補充が常であること(稀に、学部新設に伴う大量採用は有り得ます)、第二に、メンバーシップ型採用ではなくジョブ型採用であること、第三に、ジョブ型採用であることから人材の流動性は結構あり、大学教員の世界では昭和の頃から実力をつけて他大学に移籍することは珍しくないこと(=つまり、転職について最も経験値がある業界の一つが大学教員業界だとも言えます)、の3点が理由になります。

 また、わたくしは、専任教員になるにあたりいろいろな経験をすることがありました。そして、幸いなことに現段階において大学専任教員採用に関与する立場となり(書類審査、面接審査、模擬講義審査、最終段階での審査等に関与)、今にして感じること、留意すべことがより明確になりつつあります。かくして、本ブログでは採用する側の考え方・意識を紹介するとともに、自らが大学専任教員になるべく悪戦苦闘した日々(いわゆる公募戦士の日々)を思い返し、要するに、どのような人物が採用されやすいのか、また、どのような人物だと採用されにくいのか、という点についても可能な限り文章化しています。大学教員を目指している方はもちろん、専門職・研究職をはじめとする転職を考えている方にとって本ブログが何らかの参考になれば幸いです。

 本ブログでは、大学専任教員(研究者教員)の採用プロセスを概観し、教員採用手法である公募と私募を比較し、現在では公募が主流であることを述べています。そして、大学専任教員に採用されるには、まず研究業績(著書・論文)が最重要で、次に、教歴が重視され、年齢も重要なファクターであることを意識すべきです。ともかくも、公募の面接に声がかかるかどうかが目先において最重視すべきことになります。面接を経て採用されたとしても、若手研究者の場合は、任期付雇用の場合が少なくないので、採用後も他大学への移籍を意識しておく必要があり、専任教員になってからも研究継続できるのか否かが極めて重要であること、ここで研究より雑用を優先してはならないと説明しています。結局、厳しい局面であっても、コツコツと研究を継続し毎年論文を公表できているのならば、早い遅いの差はあれ、いずれは本人の納得するポストに就ける場合が多いように思えます。概ね、専任教員になり10年から15年経過した段階で、研究能力相応のポスト(=研究者本人としても納得できる研究機関)に着任しているケースが多いように感じます(この点は、専門領域により差異があるとは思いますが)。

 なお、社会科学系の一領域に限定したものであること、および、自らの経験及び自らが知り得た経験をベースとしているので、ちょっと違うよという印象をもたれるかもしれませんが、その点はご容赦下さい。文章中、「教員」、「研究者」という言葉が出てきますが、いずれも同義です。詳細は以下。

大学専任教員(研究者教員)採用ー概要

 本日は、私の本業である大学教員(=研究者)を志望する方々に向けて、若干分かりにくいかとも思われる教員採用システムについて述べていきます。教員採用について語ることは、即ち、人事に関することを語ることになるので、親しい関係であってもなかなか口にすることが憚られる部分もあります。本ブログでは、守秘義務・コンプライアンスに抵触しない限りにおいて、大学教員の採用について述べていきます。自分の経験をふまえて自分の考え方も示したいと考えています。

 なお、私は、大学に専任教員として採用されるまですんなりといった方ではありません。それだけに、教員公募の際には多くの大学に書類を送り、面接・模擬講義を経験した数も多い方であろうと自負しています(あまり自慢にもなりませんが、専任教員になって以降、後輩諸氏にアドバイスすることは多い方でした)。本ブログでは可能な限りのことを文字化してお伝えすることにより、自分がしたような嫌な思いや無駄なことに時間を割くことなく、研究者として意義のあることに時間を割いてほしいと考えています。

 では、まず具体的に見ていきましょう。A大学B学部を例に、どのような形で教員が採用されるのかを示します。本年度末(来年3月)で定年を迎える(あるいは他大学に転出する)C教授。C教授の専攻分野は、学部にとって不可欠な分野であることから、D学部長は学部教授会で次年度C教授の後任人事に関して審議してもらいます。通常は、学部教授会で後任人事の件は承認されます。(なお、大学によりますが教授にならないと人事案件に関与することがそもそも有り得ないという大学・学部も存在しますので、専任教員になればどの先生も等しく人事に詳しくなるわけではありません。)

 その後、学部教授会で承認された定年退職者補充人事について、全学〇〇委員会(学長・副学長・学部長・事務局長といった大学の最高幹部クラスがメンバー、大学によれば理事長もしくは理事クラスがメンバーであることも有り得ます)の場で提案し、審議してもらいます。そこで、採用人事を行うことが認められれてはじめて採用に関する業務がスタートします。以前と大きく違うのは、教員採用をするためには全学〇〇委員会を通すことが必要であり、それが並大抵のことではないことが間々あるという点にあります。

 審議の際、D学部長提案通りすんなり認められることも多いですが、他学部が横槍を入れてくることや、学長・副学長あたりから全学的視点に立って考えるとそのポストは不要である、講義科目は必要だが非常勤対応で良いのではないか、より現代的な課題に対応できる、あるいは、学生募集に有利になる科目の専任教員を置くべきだとの意見が出されることも有ります。この局面において自らの提案した人事案件を通すことができるか否か、つまりは教員ポストを確保できるか否かは学部長の力量と人柄によります。無事に他学部長・学長・副学長等からの横槍をうまく収め採用人事開始が認められたとしても、職位・専門分野・学位の有無など重要項目について、特段の指示が学長・副学長からなされることもあります。

 組織を動かすにあたり、人事・予算を把握することは必須ですが、最近では、伝統的な学部自治(学部教授会で重要事項は決定し、大学当局は学部教授会の決定を最大限に尊重すべきであるという戦前から連綿と続く大学における慣行)は衰退し、学長の強いリーダーシップにより人事がなされるところが激増しました。特に、国立大学が法人化されて以降(2004年度~)この傾向は顕著であり、かつての国立大学の民主的な雰囲気は後退したと感じます。公立大学も同様であり、特に、公立大学は特に設置者である地方自治体の首長の意向に左右されるところが増えました(大都市圏の公立大学でどのようなことが行われたのかを振り返ればお察し頂けると思います)。それは、一面では民意の反映ではありますが、中長期的にみて大学の衰退をもたらすことも有り得ます。そのため、いわゆる文系かつ非実験系講座では、国立大学や公立大学から伝統ある私立大学に教員が流出する傾向に歯止めがかかっていないことも事実です。この傾向は、法人化する前の2000年前後から見られた現象のようでして、当初は賃金水準又は定年の点で魅力的な一部の大手の私立大学(東京圏・関西圏)へ流出する現象がみられました。今や国立大学教員の新規採用の場合、年俸制(しかもこれまでより安い賃金水準である場合も少なくない)が原則であることから、旧帝クラスであっても望むような人事ができないことはもはや常識化しつつあります。また、旧帝大クラスの教授であっても、チャンスがあれば大手私立大学に移る傾向、しかも、東西横綱クラスであっても定年前に退職し大手私大に異動するケースさえ出始めている点に、国立大学の置かれた環境ー少なくとも研究者にとっての研究環境・労働環境ーがかつてと比較すると相当に劣化していることが推測できます。

 現在、国公私立とも大半の大学において、教員人事は公募によることが原則とされていますので、募集要項を広く公開します。少なくとも、国立大学は原則として新規採用の教員人事は公募によることになってしばらく経過した感さえあります(例外はありますが)。その際、用いられているのはJrecin(国立研究開発法人科学技術振興機構による教員公募情報のためのサイト)で、院生・ポスドク・非常勤講師の方はもちろん、現在は専任教員で他大学に移ることを考えている方、大学教員以外の職業に就いていて大学教員になることを考えている方等、大学教員として採用されることを望んでいる方々が閲覧しています(なお、最近は社会人経験のある方で研究業績があれば、積極的に大学に迎え入れることとなり、大学によれば定着した感さえあります。意欲ある方は是非とも公募に応募して頂ければと思います)。以前のように、全国の大学に公募書類を郵送するということもすべて廃止されているわけではないですが、Jrecinを見れば、公募情報を得ることができます。Jrecinに掲載されず他でのみ掲載されることはまず考えにくくなりました。インターネットにより情報の民主化をなし得たと言えるかもしれません。

公募と私募

 現在、教員人事は公募(広く公募要項を公開し、採用希望者が書類+研究業績一覧表+論文等を送付し、書類選考・面接を経て採用者を決定する手法)で行われることが増えましたが、これはここ10数年の傾向です。かつての昭和~平成のインターネットが広く普及するまでは、大学教員の採用人事を公募で行う方が少なかったのです。あそこは公募で採用している大学だ、と関係者の間で話題になるくらいでした。

 以前は、公募ではなく私募という方法で採用すべき教員を決定していました。私募とは、コネ、一本釣りみたいなものです。例えば、指導教授もしくはそれに類する有力教授の力により、植民地とされる関連大学に押し込んでもらうという手法を想定される方もおられるかもしれませんが、この手法は以前と比較すると激減しました(指導教授があまりに多忙になり過ぎて、研究指導はするものの指導している院生のポストの世話までする余裕がなくなってきたこと、人事を動かせるような大物教授が少なくなったこと、大物教授でも教員人事に関与すると他人の恨みを買いやすく、また、人事面での無理難題に代わる何かを提供できる大物教授は激減したこと、私募で採用されるポストが年々減少していること、コンプライアンスを重視する傾向が強まったこと等々がその理由です、もっとも、現在でも一部の大学・専門領域には、根強く残っている人事慣行とも言えます)。

 多いのは、定年退職するC教授と専門分野が同じ・近接した同僚教員が、自らの研究者としてのネットワークを駆使して適任者を探すというものです。例えば、規模の大きい学会・研究会に出席している若手研究者で未だ専任教員になれていないものの業績・人柄両面で推薦するに値する方に声をかける、以前に何らかの形で一緒に仕事をしたことがあり信頼できると思えた研究者に声をかける等です。院生の頃、指導教授から学会事務局の仕事(要するに雑用)は積極的にやりなさいと指導された方もいるかもしれませんが、それは、自分の名前と顔、そして仕事ぶりを知ってもらうのに最適だからです。

 ごく一部に、全国の研究者の研究業績をはじめとする諸情報をリストアップした上で、適任とされる研究者に声をかけるという大学が存在しますが、この手法(=私募の一種)だと確かに採用したい人物を採用できる可能性は高まります。公募だと、採用されるのは公募に応募する人に限定されるため、限界があることも事実です。ただ、上記のようなリストアップ方式を行い研究者に声をかけていく手法がうまくいくには、知名度があり、雇用条件・研究環境ともに優れた研究機関であることが大前提となります(日本でも数か所しか有り得ないと考えられます)。更に、おかしな話しですが、うちは公募をせずとも優秀な人材を獲得できるのだ、公募を実施する大学・学部など情けないところだと蔑視する研究者、特に一定の専門分野・一定の年齢層以上に顕著に見受けられます。まさに守旧派と言わざるを得ない教員が未だにいることは残念です。

 とはいえ、時代の趨勢は原則公募です。いかに優秀で適任な人物を採用するにしても、採用プロセスの透明化という視点からすれば、私募は公募に劣ります。そして、それなりの大学であれば、公募総数はかなりの数(都内有名私大だと100名前後ということも有り得ます)になり、想像以上に優れた人材との出会いもあります。中途半端に自分たちの狭いネットワークで探すよりはるかに優れた人材を採用できるというのも事実です。自分たちの想像を超えたユニークな研究者、多様な経歴・背景を有する人材が応募してくれる可能性があります。かくして、公募が原則化するのは当然の流れです。

 但し、以前から指摘されているように採用予定者が存在するにもかかわらず公募を実施するという、いわゆるやらせ公募・インチキ公募なる手法が存在したことは事実です(両者の意味は同じです)。私も、専任になる前、専任になった後にそのような話を聞くことがあり、世の中腐っているなと思いました。このようなことをするくらいなら、私募を貫き通す方が潔いとも思います。そして、どの公募がやらせ公募・インチキ公募なのかを書類・応募要項から判断するのは内部者でないかぎり困難です。敢えて言えば、年齢層・専門分野を限りなく限定しているような公募の場合、採用したい人がいるのかなとも思えますが、このような場合でもやらせではないケースもありますし、稀に採用予定者がすんなり決まらないケースもありますので、何とも言えません。とにかく、やらせ公募だから出さないという行動は高額当選する可能性のある宝くじを自ら捨てるに等しい行為であると個人的には考えています。つべこべ言わず、教員公募にはとにかく出すことが重要と確信します。

 採用人事に関して自らに声がかかることがあります、うれしい瞬間ですが、採用サイドは様々な意図をもって声をかけていることも事実なので相手方の真意を見抜くことが重要です。以下の様なパターンがあります。第一に、(特に専任教員になれば)うちの公募に出してくれと声がかかることがありますが、これも単に広報しただけの場合、第二は、何とか面接までは残すつもりの場合、第三は、採用まで考えている場合、等様々なケースがありその詳細までは教えられないことも間々あるので、声がかかったからと言って有頂天にならない方がよいでしょう。そして、個人的な経験からすれば、親しい研究者に対しては声がかけにくいと言えます。他方、学会・研究会で面識があり、研究レベルを知っている程度の薄い人間関係しか形成していない研究者には声がかけやすいという面もあります。声をかけたからといっても、昨今では、面接に残すことさえ難しいのが現状です。ですので、いかに親しくとも人事面での声掛けはしないというのも一つの見識であることをご理解頂きたいと思います。

 現在の大学教員人事を巡る傾向として押さえておくべきことの一つとして、教員人事において、自分の知っている研究者をゴリ押しする行為は、今まで以上に嫌悪されています。それが、研究業績・人物ともに優れていればまだましですが、見るべき研究業績もないような研究者をゴリ押しするような教員が白眼視されることになります。今後、様々な大学行政活動を展開するにあたり、学内で他の先生の協力を得ることが難しくなり、色々な仕事がやりにくくなります。教員人事に必要以上に首を突っ込む教員は、嫌われているのが実態です。以前の様なボス教授による人事の私物化については、公募で採用された教員(若手教授クラス、40代半ば前後)を中心に強い反発を食らいます。そもそも、以前ほどの力のあるボス教授はいないのが現状かもしれません。

 要するに、公募により公平な教員採用を求める内部での教員サイドの声(学部サイドの声)は、以前と比較するとかなり強くなっていますし、大学全体としても公募を求める圧は強まっています。一般の国立大学では原則・公募採用というのはご存知の方も多いかもしれません。

求められているのは何?

 大学専任教員(教授、准教授、専任講師、助教)として採用されるためには、何が求められるのでしょうか。公募で採用されることを前提に考えてみました。

 大学教員は、研究者であるとされていますから、採用時には研究業績、つまり、著書、論文(学術雑誌に掲載されたもの)の質と量が最重視されます。とりわけ、直近5年にどれだけの著書・論文があるのかが重要で、最低でも3本は必要というのは伝統的に語られてきた目標です(博士後期課程が3年間あるので、1年に1本、計3本必要ということです)。できれば、毎年何らかの形で研究業績が公にされていることが望まれます。特に、一部の研究をメインとする大学でない限り(日本ではごくわずかの大学、国立大学の10前後の大学[旧帝大+α]のみと思われます:公立大学やマーチを含むマーチ以下の私立大学では研究のみならず教育を考慮して採用しているのが現状です)論文の質はそこそこで、論文本数がそこそこある研究者が有利に働くのが現状です。私ども専任教員は研究のプロなので、手抜きの論文は一発で分かりますので誠実に研究に向き合い、丁寧な論文執筆を目指すべきですが、同時に、論文本数も意識しないと、教員公募という競争の場では最初の書類選考でさえ勝ち抜けない、というのも厳然たる事実です。大学院の時にしっかりした論文が1本あれば就職できる等と院生諸氏に語っている指導教授が今も一部にいると仄聞していますが、とんでもない話です、そんな教授には早急にお辞め頂きたいとさえ思っております。それは、昭和~平成初期までには通用した基準で、現在ではおよそ通用しない話です。専任教員になりたい方は、論文本数を意識して下さい。最低でも1年に1本以上の研究業績(論文が難しければ、研究ノート・翻訳・資料等)を執筆し、学術雑誌に公表することを強くお勧めしておきます。つまり、博士後期課程1年から現在までの年数分の論文本数が存在するのか否かが、まず最低限クリアーすべきレベルです。例えば、D4で非常勤もしている方なら、論文本数4本は必要です。その理由は、要するに、どの大学も学部・研究科のお荷物になるような(=着任後、論文をあまり書かないことが想定される)研究者を採用したくないから、ということに尽きます(最近は学内全体又は学部・研究科内での自己点検・自己評価の一環として、専任教員については、研究業績面で数値目標を定めているところさえあります)。ムラのあるタイプ(論文を書く時はガンガン書くけれど、書かない年度が数年に及ぶ:例、2020年度から2022年までの3年度の間に論文を3本書いているが、そのいずれもが2022年に執筆・公表されており、2020年度・2021年度は研究業績リスト上の研究業績が何もないような場合)だと、着任して少なくとも1年から数年は環境が激変し、多忙であることが多いので、多忙を理由にほとんど論文を書かなくなる危険性があるので、採用する側からすれば警戒される可能性があります。要するに、警戒されて採用される可能性が低下します。

 なお、学会報告・研究会報告等の口頭報告についても研究業績リストに記載することがあろうかと思います。これらの研究活動が重要であることは否定しませんが、所詮は口頭報告に過ぎませんのでこれらの報告前もしくは報告後の段階で報告を裏付ける論文が不可欠でしょう。

 次に、教歴です。つまり、大学と名のつくところで講義を担当した経験があることです。非常勤講師で全然構いませんし、1コマでも構いません、専門科目ではなく教養科目を担当しているというのでも問題ありません。但し、大学以外での教歴(高校での非常勤講師経験等)は、教育学部での採用を除けば、ここにいう「教歴」とはみなされません。同様に、専門学校や予備校での講師経験も「教歴」とはみなされません。やはり、大学で講義経験があることは、採用サイドとしてはかなりの安心感があります。ただ、大学での講義経験に加えて、予備校等での講義経験がある場合、資格取得を売りにしており、学生募集に苦慮しているような大学であれば評価されることも有り得ます。以上をまとめると、「教歴」がないと、最近では専任教員として採用されるのは厳しいという点に尽きます。なお、上述のJrecinでは非常勤講師の公募がされている場合もあるので、とにかく非常勤講師の経験をしたい方はマメに閲覧されるとよいでしょう。

 更に、意外に重要なのが年齢です。民間企業での新規採用や公務員試験等のようにのように、一定の年齢が来れば絶対に採用されない、というものではありません、現に就職が極めて困難な領域(人文科学系の一部)だと50歳を超えて教授として採用されるケースも普通にあります、また、就職が困難でない領域でも粘って粘って50歳を超えて専任教員として採用されることも稀にあります。注意すべきなのは、以上のことは全体から見ると決して多くはないという点です。御理解頂きたいのは、年齢が上になっても採用される可能性はあるものの、年齢面での一定の目安のようなものはかねてより存在しました。まず、専任教員歴がない院生・ポスドク・専業非常勤講師(=非常勤講師で生計をたてている)であれば、かつては35歳前後までとされていました。今は、種々の事情で大学院に入学するのが遅れている方も増え、以前ほど厳格ではないものの40歳前後のように感じます(もちろん、専門科目や大学・学部毎で異なります、一応の目安です)。専任教員歴があり他大学への移籍を考えている場合であれば、概ね50歳前後まででないと難しくなります。私募(=一本釣り)の場合、50歳を超えれば一切声がかからなくなったと語るベテラン教授も少なくありませんし、公募でも概ねの基準として50歳前後までとしている大学は少なくないと思われます。もっとも、特に、顕著な研究業績がある(=知名度のある研究者)であれば、特に私大を中心に年齢面に関しては柔軟に解釈される場合も少なくありません。要するに、年齢に関しては研究業績とセットで評価されるとみると理解しやすいかと思われます。

 年齢に関しては、傾向としては私立大学よりも国立大学・公立大学の方が厳格です。というのは、伝統的に前者より後者が定年年齢が早かったから、というのがあります。ただ、現在では両者において定年年齢に差がない場合もあります。定年年齢に差がなくとも国立大学・公立大学の方が年齢面については厳格であると感じます。といいますのも、無駄のないキャリアでないと国立大学・公立大学だと給与面や昇格の点で納得のいかない結果になりかねないからです。その背景事情として、現在、国立大学教員の処遇は、国家公務員に準じて55歳で昇給停止となっていることを指摘できます。大学により若干の違いはありますが、国家公務員に準じて55歳で昇給停止のところから、遅い所でも60歳で昇給停止となります。昇給停止時から65歳の定年までベースアップもしくは学部長・研究科長等のような役職に就くことがない限り1円も給与が上昇しないことになります。この影響を最小限にするには、若くして教授になり、かつ、遅くとも昇給停止の時までに俸給表の頂点の金額(教授の基本給の最高額は月額約55万円)に到達する必要があります。そのため、昇給停止の年齢までに教授になり、かつ、俸給表の頂点に到達することのできる研究者、つまり、キャリアに無駄のない研究者(27歳で博士後期課程を修了し、修了と同時に大学専任教員になっていることが理想)をより強く求めることになります。

 その他、学位(博士号)科研費等の競争的研究資金採択歴、出身地(特に地方都市の大学の場合、国公私立大学を問わず地元出身者、特に、高校まで地元で過ごした研究者をできれば採用したいという大学は少なくない)が重視されることもあります。また、最近では、国立大学の教員採用においては業績と人格が同格であれば、女性研究者を採用する旨宣言しているところさえあります。国立大学における女性研究者の採用強化の方針は今も変わってはいません。アファーマティブアクション(積極的差別解消施策)の一つですが、逆差別をもたらす可能性もあると指摘されているところです。

 最後に、専攻分野や採用担当者により事情がかなり異なるかとは思いますが、研究者の出身大学はどの程度影響するのかという点に触れておきます。私の専攻分野では学部がいわゆるFランク大出身でも大学院がそこそこで国立大学教員になっている例を複数知っています。とはいえ、概ねの目安としては、大学院博士後期課程まで設置されている大学か否かかと思われます。この点、私立大学だと、MARCH(関西なら関関同立でしょうか)あたりが大学教員になっている研究者の限界線かと思います。日東駒専(関西なら産近甲龍でしょうか)は伝統ある大学で博士後期課程まで設置されており大学教員になれないことはないですが、就職活動で苦労しているように感じます。その理由は、採用する側の研究者が学部時代の偏差値に拘っているというのではなく、円滑な学生指導を考えてのことだということが就職して良く分かりました。学生から「あの先生は〇〇大学出身じゃん、△△だね」等と嘲笑されるようなことがあれば、学生指導は成り立ちません。いかに研究者として立派であっても学生から尊敬されないどころか嘲笑されるようだと学生教育・学生指導の点で想像以上に苦労しますし、場合によればトラブルの源になりかねません。そういうことは未然に防いでおきたいというのは(その良し悪しは別として)ハラスメントに敏感、かつ、コンプラ重視の昨今の組織の在り方からすれば自ずから理解できることでしょう。概ねのところ、自分の出身大学と同格のところに専任教員として着任できれば大出世ではないかと感じます。通常は1ランク落ちのところに着任できても出世した方だと言えましょう。なお、例外的に、自分の出身大学の格上の大学に採用される場合、自らの研究分野においてかなり著名である、権威者に近いくらいの優れた研究者でなければなかなか現実化しないようにも思います。なお、学部・大学院博士前期課程・大学院博士後期課程のいずれも大学が異なる場合、合理的な説明ができる必要があるでしょう。学部と大学院が異なるケースをそれ程問題にする研究者は最近ではいませんが、大学院博士前期課程と後期課程で大学が異なる場合、明確に説明できるようにしておいた方が採用サイドとしては安心感が増すように思います。ただ、一部には学歴ロンダリングを強く忌避する教員がいることのみ頭に入れておくと良いかと思います(面接で、学部と院が違うことを殊更に質問する教員がいれば、そういう考えの教員だとお察し下さい)。学部・大学院博士前期課程・後期課程のいずれも異なる大学出身であるけれども然るべき大学の教授になっているケースは結構あるので、異なることが問題なのではないです。なぜ異なるのかを説明できるかです。この点を面接の際に質問されればきちんと回答できるようにしておくことが重要かと思います。この部分は、誤解を招くかもしれませんので、後日に削除するかもしれません。

面接・模擬講義

 研究業績・教歴・年齢等の諸要素により書類選考を行い、面接(又は、面接+模擬講義)に呼ぶ研究者を2人~3人に絞ります。まともな大学であれば、応募者のほぼ全員あるいは多数を面接に呼ぶことは有りません。書類選考でかなり絞り込みます。1人まで絞るところもありますが、最近では他大学に逃げられる可能性があることをふまえて少なくとも面接には2人以上呼ぶ大学が多いように感じます(国立大学や公立大学は、最近でも1人にまで絞るようです)。面接に呼ぶ研究者に順位が付けられていることも往々にしてあり、2番手以下が採用されることはあまり有り得ないことですが、全くチャンスがない訳でもありません。面接・模擬講義の内容をどの程度重視する大学・学部なのかにより、結論は異なります。2番手以下でも逆転する可能性は十分ありますが(私も2番手ながら採用されたことはあります:その大学では教授会で採用候補者を3人に絞り、順位を付けて学長に上程しており、学長が自由な判断により採否を決定していました、大半は第1順位の候補者に内定を出しましたが、私の場合、第1順位の方の先輩がかつて内定が出たのに他大学に逃げたという許し難いことがあり、同じ研究室出身の人間に対して懲罰的に不採用にしたようなことを後年に仄聞しました、真実か否かは分からないですが)、その大学がどういうスタンスで臨んでいるのかは、外部者からは窺い知れないのが現状です。

 面接では何を見られているのかですが、大学教員は基本的に研究・教育は個人で行うものという理解が根強いので、他の教員と強調する必要があるのは大学行政の場合が主です(その多くは、雑用のような仕事)。そのため、面接では一緒に仕事、即ち、大学行政の仕事をしていくことのできる人間か否かをチェックするためのものです。落としたい人物像としては、大学行政に対して非協力的であると宣言する(例:貴学着任後は研究中心で活動しようと考えていると公言する等)、教授会で言いたいことを言い募るものの自らは汗をかかない(例:質問への回答が長々とくどい研究者はこのタイプだなと認定されやすい)、他の教員に対して攻撃的な研究者(例:面接の際に答えにくい質問に対して逆ギレする等は、攻撃的だと認定されやすい)等、です。これらに該当する研究者は、真っ先に落としたいと考えるのが通常でしょう。要するに、自己中心的な人物は採用したくないというのが本音です。かつて、研究者は風変わりで、協調性のないような人でもやむを得ないと考えられていた時代があったかと思いますが、現在の感覚とは隔世の感があり、今日では、協調性のないような研究者はいかに研究業績面で突出していたとしてもお断りの大学の方が多いかと思います。研究・教育・大学行政のいずれの側面でもそつのない研究者が結果的に採用されているのが現在の傾向です。この傾向には批判的に見る方もおられると思いますが、もはや変わり者の研究者を置いておく余裕(他の研究者が、尻拭いをする余裕)が今の大学から失われているからかもしれません。

 面接では、自分の専門分野の先生を中心に何人かの先生と応対することが多いかと思われますが、応募者が提出した履歴書や研究業績一覧表を確認するとともに、研究のこと教育のことその他、多方面にわたり意見交換することでしょう。面接の場に、自分の専門分野の先生がおらず、学長や学部長等の役職者だけが面接する場合、上意下達の組織であり、かつ、締め付けのきつい大学であることが多かったと記憶しています。稀に、圧迫面接まがいのことをする教員がいたり、どう考えても有り得ないようなこと(場合によればハラスメントに該当するような内容)を質問する無礼千万な教員がいます。私も数例ですが経験しました。まともな研究者であれば、そのような対応はしません。同じ研究者として丁重に対応するものです(研究者の世界は狭いので、人間関係を辿れば繋がっていることは多々あります)。教員と接する前の段階で、事務局で事務職員と接することがありますが、横柄な態度の事務職員も僅かですが存在しました。「控室がないのですか」と質問したら「そこらで立って待っとけ」と言い放った首都圏の某私立大学のことを忘れることができません。面接に行って、控室のない大学は稀です、私が経験した限りではこの大学だけでした。人事秘を徹底するならば、控室は必須です。そして、事務職員の態度が悪い大学は、ろくでもない大学の可能性が高いと個人的には睨んでいます。なお、最近では面接に関する交通費を支給する大学は激減していますので、昔の話を鵜呑みにされない方がよいでしょう(かつては、交通費・宿泊費を支出していた大学であっても、税務当局から指摘を受ける、内部の監査で指摘を受ける等の事情により、不支給の大学が多くなっています)。

 模擬講義では、リアルに学生に受講させることも有りますし、教員だけの場合もあります。学生がいる場合、短時間ではありますが学生といかに距離を詰めることができるのかがポイントです。なかなか難しいですが、どの候補者も学生と距離を詰めることはできないので最初から放棄していますから、挑戦する意味はあります。要するに、どれだけ誠実に講義・学生に向き合っているのか、が重要です。レジュメを作成せずに講義するなど論外です。

 ともかくも、専任教員になるためには面接に呼ばれるようになるか否かが最重要です。最終的な採否は運や巡り合わせがあり本人の努力では如何ともし難い面がありますが、面接に呼ばれるか否かは、努力で何とかなる部分です、即ち、研究業績面が充実してくれば面接に呼ばれる割合は高まります(概ねの基準は、論文3本以上)。面接に呼ばれない段階では、研究業績が不足している場合が多いでしょう。研究時間を増やし、研究業績を充実させることが何よりも重要です。そして、面接に複数の大学から声が掛かるようになると採用は近いことは多くの先達が伝えてくれています。私は、面接に呼ばれるようになってから3年間採用されませんでしたが、珍しい方です。通常は、面接によばれるようになると、その年度か次年度で採用が決まることも珍しくはありません。

 また、面接(+模擬講義)に呼ばれるようになると、複数の大学から同時期に声がかかることもあり、急に忙しくなり、採用を意識します。そして、面接では採用を前提とした話をすべての候補者にしているので、自分が採用されるのではないかと思い、なかなか平常心に戻ることは難しいとも言えましょう。やはり、採否は最終的には運によるものですし、縁のものです。というのも、面接に呼ばれている研究者のレベルは順位付けがされていても甲乙つけがたい場合も少なくなく、意外なことで採否が決せられることも少なくないからです(理事長が関西出身なので、忖度して関西出身者を採用する等)。そこで、面接に呼ばれた後、面接が終われば速やかに日常生活に戻る必要があります。日頃の研究活動に戻るべきなのです。そして、研究そのものが難しいのであれば、研究に付随すること(図書館・インターネットその他での研究関係の資料収集、これまでの資料整理、これまであまり読まなかった論文や研究書にざっと目を通す等)でもいいので研究に関連する何かをしましょう。この点、自分自身は十分にはできませんでした。そのため、面接に呼ばれるようになると、急速に論文を書くペースが崩れていきました。こうなると、面接には呼ばれるものの採用はされず、後輩がどんどん就職を決めていき自分はいつまでたっても就職ができない、最終的には面接に呼ばれることがなくなる危機に陥ります。私の場合は寸前のところで気づいたのでまだましですが、面接に呼ばれるようになっても(採用に至らない場合も有り得ますので)強靭なメンタルが必要であるとも感じます。そして、面接に呼ばれて採用に至らない場合、面接での対応に不備があったのではないかと考える方がいるかもしれませんが、大学教員公募の場合、そのようなケースはレアケースです。研究業績をはじめとする客観的な指標で総合的に判断された上で落とされる場合が多いと見てよいと考えます。

 私募と公募では求められるものが違うのでしょうか?そんなことはありません。私募でも、公募で採用されるくらいの論文数・質がないと、推薦した先生が学内外で嘲笑の対象とされるのが落ちです。ですから、それなりの研究者を探しだし一本釣りします。私募でどの程度の研究者を採用できているのかを見てみると、その大学の研究者の力量が概ね推察できます。私募をしている有名な大学の一定の分野の教員の研究レベルが低いと感じるならば、おそらくはその大学の研究者のレベルも低いもしくは研究者としての交際範囲が非常に狭いのだろうと感じます。

 業界内では有名な話ですが、採用時、論文0本とか1本といった研究業績が皆無or皆無に近い状態で私募により専任教員として採用されるといったケースが稀にあります(出身大学院が著名なところもしくは指導教授が著名な場合が多い)。私が院生・専業非常勤講師の頃は、羨ましいなと思ったものですが、専任教員になりそのような方々と接し最終的に感じたことは、率直なところ研究業績が皆無に近いのに採用されるのは悲劇だと痛感しました。このような研究業績が皆無に近い場合、研究者としての基礎的な訓練が未だ十分にできていない段階ですので、未熟な研究者がいきなり専任教員として着任することになります(泳ぎの技能が未熟な者が大海に放り投げられたようなものです)。研究能力が未熟、即ち、論文を書く基礎的な力量・ノウハウが不足しているのですから、他大学に転出することは研究面で事実上不可能です。そこで、足元を見られ、どの先生もやりたくないような大学行政という名の雑用、特にやり手のいない雑用を押し付けられることになります(教務や入試関係の職務は責任が重いので敬遠される傾向にあります)。この場合、研究者としての採用ではなく、教育要員&雑用要員としての採用だったとも言えます。このような屈辱的な経験をした場合、努力して論文を人並に書けるようになればいいのですが、なかなかそういう例は少ないことを実感します。往々にして、研究業績が皆無に近い教員であればあるほど、学生教育や大学行政という名の雑用ばかりに時間を割くことになります。それだけ論文を書くのは厳しく、つらい作業なので、教育や大学行政に逃避しているとも言えます。その結果、最初に採用された大学に長期間在籍し、他大学に移籍することにも無縁で悶々とすることになります。稀に、論文がろくにない教員が、在籍年数・年齢等だけから教授や准教授になっている大学が存在しますが、まともな大学ではないと見た方が賢明でしょう。国立大学・公立大学・伝統ある私立大学では、論文本数の要件をクリアーしない教員をお情けで昇進させることは有り得ません。法人化して以降、国立大学はお金がありませんので、以前よりも教授になることは大変難しくなっています。

専任教員としての採用≠楽園、という現状

 大学教員の世界において、若手の頃は厳しいと言ってよいでしょう。採用されたからと言って、それがパラダイスとは言い切れないのが現状です。一部の学界の中枢にいるスタークラスの若手研究者であれば就職の苦労はないでしょうし、最初の就職先もそこそこのところに着任します。しかしながら、多くの一般的な研究者は、地方都市の大学又は大都市部でも歴史の浅い大学に着任することが多いと思います。

 仮に、最速の27歳で大学院博士後期課程を修了後に、地方私立大学もしくは大都市部の歴史の浅い大学にて専任講師として採用されたとします。この場合、任期付でなければ幸運ですが、最近では、任期付雇用のケースが少なくなく、特にキャリア初期ではやむを得ず任期付教員として採用されることも少なくありません。そして、誤解を恐れずに申し上げれば、地方私立大学・都市部でも歴史の浅い大学であり、かつ、規模が大きくなければ、給与水準は国立大学教員の水準を大きく下回るところが少なくない、ということを感じます。他の産業と同じく、大学教員も大学間の賃金差が広がっています、上が上昇するのではなく、これまで聞いたことのない低賃金の大学教員が出現しているのです。私が教員公募に出しまくっていた頃、地方国立大で講師(=専任講師のこと)として採用されれば、概ね年収500万円前後が相場だと言われていましたし、都内の私立大もしくは関西圏で給与水準の高い大学だと800万円を提示すると言われていた時代でした(給与水準に関しては、都内よりも関西圏や名古屋圏の方が少し高めなのは、業界の常識です)。他方、地方の小規模私立大だと地方国立大学と同水準であれば恵まれている方で、年収300万円~400万円という話もちらほら聞こえてきた頃でした。最近では、任期付ではありますが年収250万円というのを公募要項で見た時は驚愕しました(なお、上記の年収は額面です。手取りはもっと少ないですし、賞与がないところも増えました)。かくして、安月給の中で、任期が来れば職を失うことになる恐怖と闘いながら、必死になって研究して論文を書き(実態は、論文を書くために研究し)、他大学に移籍できるように日々奮闘している若手~中堅の研究者が一定数いることと思います。私も西日本の地方底辺私立大で上記の経験をしました。

 そんなに条件が悪いのならば、任期付のところに就職せず、数年遅れてでも任期付ではないところに就職すればいい、とのご指摘があるかもしれません(任期付のポストには応募するなという指導をされている教員がいることも知っていますし、5年~10年の中期的視点にたてばその通りです)。しかしながら、短期的視点に立てば1年でも早く専任教員になることが重要です。専任教員にならないと回ってこない原稿依頼、専任教員になってはじめて知る人事の裏側・採用側の本音等から、条件の悪い地方私立大学or都市部の無名大学でも(院生・ポスドク・非常勤講師の間で、あそこに着任する位なら非常勤を継続した方がましと言われているくらいの悪評が出回っているとか、全く情報がないという極端な場合は別として)専任教員として着任すべきだと指導されてきましたし、基本的には適切な指導だと考えます。そして、教員公募の場では、どんな無名大学であっても専任教員と専任教員経験がない者(院生、専業非常勤講師、ポスドク)とが競合すると、論文本数等の研究業績面で同格であれば前者を採用するのが大原則であり、例外はほぼなきに等しいことを感じます。そして、専任教員になればこれまでと異なりいろいろな方面との交流も増え、これまでは縁のなかった媒体で論文を書く機会に恵まれることも事実で、自然と論文本数が増えるという面もあります。専任教員になればとんでもない人物でない限り、一定の人脈が自然にできていくことを実感されることと思います。また、最近では、専任経験のない者を可能な限り雇用したくないという大学サイドのエゴみたいなものを感じることも増えました(表面的には学生指導を考慮した結果、専任経験のある者を採用したと説明されますが、本音は、専任経験がない者を採用すると、これまで経験したことのない大学行政面や専任教員の学生指導面での留意点について事細かく指導する必要があり面倒だから、と語った役職者がいることも事実です)。

 但し、任期付雇用の大学に着任する限りは、他大学に出ていくことを考えるしかありません。そのため、教育や大学行政で時間が割かれても、深夜残業又は早朝出勤・休日出勤などをして精力的に研究し、論文をガンガン書いていくことが不可欠です。そして、院生・ポスドク・専業非常勤講師の時と同じように教員公募(jrecin)をマメにチェックし、公募にも精力的に出し続ける生活が続くことを覚悟しておく必要があります。研究者としての能力が真に問われるのは、専任教員になってからで、ここで脱落するのか否かが自らの研究者としての将来を決定します。体力・精神両面で強靭でなければ、やっていけないのも事実です。

 なお、このように専任教員になっても当初はじっくり腰を落ち着けた研究などできないのが現実です。そして、論文執筆は厳しい道のりです。そこで、学部長や学部長に近い筋から、研究して論文を書いても他大学に出るのはなかなか大変なことだよ、学部長の言いつけに従って雑用に励めば、今は任期付雇用だけど次年度あたりに定年まで雇用されるようにしてあげる、任期付ではあるが任期を更新してあげるように学長に頼んでみる等(およそ実現不可能であり、かつ、自らは何も動かないにもかかわらず)甘いことを囁くことが有り得ると思います。専任教員の中にも屑みたいな人間(=屑教員)がいる、ことを指摘せざるを得ないのです。屑教員か否かの判別方法は簡単で、直近の研究業績がどの程度あるのかをみれば概ね推測可能です。研究業績がろくにない教員は屑教員である可能性が高く、他方で、毎年、研究業績を出せていれば、屑教員ではない可能性が高いと言えます。大学行政にどっぷり浸かっている教員は、頭が硬直的になり、研究する頭ではなくなっているということかもしれません。また、経験的にみて、屑教員は学部長や学科長などのポストに強い執着があり、役職に就いていない教授よりも学部長や学科長に就任していることが偉いとさえ思っています(そういう大学では、役職就任は選挙ではなく、学長等のツルの一声で決まります)。

 話を戻します。研究教育環境及び労働環境の悪い大学に在籍していて、他大学への移籍を考えるのならば研究継続が必須です。仮に、ここで、研究より雑用を重視すれば任期内で他大学に出ていくことはかなり厳しくなることでしょう。雑用は最低限かつ短時間で切り上げ、仕事ができないふりをする必要さえあります(同僚でそういうひとがいました、大切な高校回りの際に寝坊してみたり、飲み会の幹事を引き受けて皆さんに迷惑をかける等、わざと分かりやすい大失敗をすることにより、雑用が回ってくるのを阻止していました)。

 次に、当初の大学において任期付雇用から定年まで雇用されるような形態に転換した、もしくは、地方都市ではあるものの他大学に転出できた(定年まで雇用されるポストを他大学でゲットした:具体的には、都内の大手私大の公募には引っかからなかったが、隣県の地方国立大学の公募に応募したら採用され、移籍出来た等)場合、落ち着いて研究・教育に取り組むことになるのか否か、教員公募から解放されるのか否かは、個々の教員の人生観、生き方によると思えます。つまり、地方都市の大学に定年までいることを良しとするのか否かという問題は、つまるところ、個々の研究者の判断によると思われます。

 社会科学系の学問領域であれば(若干の例外はあるものの)、若手~中堅のころは地方都市で過ごし、教授になる年齢層になれば、首都圏・関西圏の大学に移る傾向があるよう思えます(最近では、関西圏でさえ一地方都市と考える先生方が増え、関西圏の大学出身の先生方も首都圏の大学に移籍することが増えました)。特に、学界のリーダーと目される研究者はもとより、学界の若手・中堅のホープとされる先生も、地方都市の大学で定年まで在籍するケースは、非常に少ないように思えます。人・モノ・カネ・情報の東京への一極集中は、研究者の世界でも無縁ではありません。コロナ前までは、都内のいたるところで学会・研究会等が開催され、最先端の議論が交わされていて、地方にいる先生方も大挙して参加していたものです。そして、優秀な研究者であれば、都内の大学に移りたいと思うのも無理からぬことです。もっとも、都内の大学を志向しない研究者も一定割合いますので、最終的な判断は生き方や人生観であろうと思われます。

 最初に専任教員として採用される大学は、どうしても運・不運に左右されます。最初、任期付・低賃金等という厳しい条件の大学に採用されることもありましょう。特に、年齢が上の方は最初から好条件の大学で採用されることは珍しいでしょう。このように厳しい中でもコツコツと研究し、毎年継続的に論文を公表するという当たり前のことを継続できている先生方は、早い遅いはありますが、遅くとも専任教員になって10年~15年経過した段階において、概ねご自身が納得するポストに就いている場合が多いでしょう。諦めずに粘り強く研究を継続できるのか否かが最重要であることがご理解頂けると思います。先の見えない中、努力を続けることは大変につらいですが、それを乗り越えた先にこそ、新たな世界が広がることも事実です。継続することは言うは易く行うは難しです。

 大学教員(研究者)を志望する人にとって本記事が有益なものであれば幸いです。

 本記事は、教員公募の総論的・一般的内容です。各大学における面接等の詳細については面接①ー実例紹介に詳細を記述しています。ご参考まで。

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