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大学入学にあたって
4月1日は、新年度がスタートする日です。令和3年度は、本日からスタートです。本日、期待と不安を胸に大学に入学されたであろう新1年生の皆様、ご入学おめでとうございます。大学に入学されたばかりの新1年生の皆様。皆様は、今後、自ら積極的に動くことにより様々なチャンスに遭遇し、自らの努力により想像以上の飛躍を遂げることができる可能性があります。なかなか実感できないことかもしれませんが、若いというだけで想像以上の財産を有していると思って構いません。仮に不本意な、納得のいかない進学先であっても同様です。なお、大学進学を希望しながら入試で不合格になった方、諸事情により入試さえ受けられなかった方がおられることにほんの少しでいいので思いを致して頂ければ幸いです。一般的な話はこの程度にして、現在、大学教員である私が入学式を迎えたときの心境を以下に偽りなく書き留めておきます。ほんの一部でも、読者の皆様にとって有益な箇所があれば幸いです。
私の経験①(大学入試)
平成〇年4月1日、私は、2月の入試で合格していた某有名私立大学のキャンパスにいました。私は、予備校生活(浪人生活)を経ての入学だったこと、予備校では国立大学である〇〇大学コースにいたにもかかわらず3月の国立大入試(当時は前期・後期と2回受験することができました)に全敗したこと、が少し心の傷になっていました。他方、有名私大であったことや数日前に友達と会った際に、国立大入試全敗だったこと及び受験した大学・学部名を告げると、有名私大の方が就職活動等では後々有利だよ、と助言してくれたこと、伝統ある大学であることが自分の気持ちを幾分和らげてくれました。
私の経験②(高校時代)
当時、予備校の国立大コースにいて国立大と私立大を受験して最終的に私立大に進学することは一般的なことでそれ程落ち込むこともなかったのですが、心の傷になったのはその数年前にあった高校入試、特に、本命の公立高校の入試に不合格となり、私立高校に進学したことが影響しています。15歳の春、公立高校入試に落ちた私は、(言葉は悪いですが、いわゆるすべり止めで受験していた)私立高校に進学しました。そんな低偏差値の高校でもなくそれなりに伝統のある高校なのですが、思い出したくもないような経験ばかりです。まず、同級生のおよそ半分は、私のように公立高校に落ちた人たちであり、かつ、私と同様に公立高校に不合格となったことにコンプレックスを抱いていました。また、私が進学した私立高校の教諭の中には、「お前たちには国立大学への進学などおよそ無理、有名私大でもまず無理もしくはギリギリ可能なレベル、それは浪人しても変わらない」という旨の、何の根拠もない、しかも、夢も希望もない話を延々とする方がそこそこいました。また、言葉にはしないまでもそのような認識を有する教諭が大半でした。特に、根拠もなく未来のある高校生に対してそのような成長の芽を摘むような発言をする教諭には怒りを禁じ得ませんでした。実際、私の高校時代の同級生の中で国立大学に進学した人、有名私大に進学した人はそれなりの数存在していたので、少なくとも根拠のない話であると今でも思っています。このような暗黒の高校生活と同じような生活が、大学生活でも待っているのではないかという危惧があったのでした。
私の経験③(大学生活)
結論から言うと、私の危惧は杞憂に過ぎませんでした。大学の先生方は、学生の夢や希望を最大限に尊重する方が大半でした(当たり前かもしれませんが、当時は、とても新鮮に思えたのでした)。学生の中にも国立大を落ちた人もそれなりにいましたが、私の接する限りではみんな学生生活を楽しもう、より有意義なものにしようという意識の方ばかりだったのも有難かった。このような環境なので、振り返ってみると私の大学生活はとても意味のあるものでした。人間は環境に負けてはいけないのですが、上記の私の例は環境に大きく支配される一面を示しています。
大学院進学希望者への大学教員の態度(注意)
このように学生の夢や希望を最大限に尊重する、紳士的な態度の大学の先生方でも、学生が大学院に進学して研究者になりたい、と希望すると態度が豹変することが少なからずあります。大学院進学を考えている方は、このことだけは心に留めておかれると良いでしょう。大学院進学に関する点は、本ブログの中核の一つなので後日詳論します。
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