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ゼミ(演習)続き
昨日、ゼミの選び方、ゼミ選抜基準について情報発信しました。若干、重複があるかもしれませんが、本ブログの中核である研究者(大学教員)志望の方にとって有益となるように、ゼミを担当する大学教員の考え方、ゼミ開始後に気を付けておくこと、の2点に絞り情報発信を行います。
大学教員ー概ね2タイプ
まず、大学教員には大きく分けて2タイプの方がおられます。もちろん、ここで紹介する2タイプとは異なる教員もいますが、多くはこのどちらかになります。
第一は、面倒見の良い先生です。このタイプの先生は、面倒見がいいので学生にあれこれ指示もしますし、悪く言えば何かと拘束されると感じる場合もあります。例えば、ゼミの行事を活発に行ったり、ゼミの日程以外でも何かとゼミ単位で何かをしようとするのもこのタイプの先生です。概ね、このタイプの先生は人情派で、困ったことを相談すれば何かと力になってくれる先生でもあります。若手でもこういう先生はいますが、概ね年齢を重ねた、そして、苦労人の先生が多いように思われます。そして、講義を数回受講すれば、このタイプの先生か否かは概ね判断できます。最近は減りましたが、学生には厳しいけれども実は学生思いの先生もこのタイプに該当します(芸人の世界では、オール巨人さんみたいな方でしょうか、弟子には厳しいもの、弟子のテレビ出演等にはかなり尽力されることで有名なので)。
第二は、面倒見の良くない先生です。つまりは、学生は好きにしていいよ、その代わり先生は先生で自分のことがあるから、お互いあまり干渉しないようにしようというタイプです。例えば、ゼミでは大学・学部で決められたことはするものの、それ以上のことはあまりしない先生です。「学生諸君から何か要望があればいつでも協力するよ」の真意は、学生が何も言ってこなければ教員から何かしようなんて言わないよ、何も要望がなければ知らないよ、それに大学のゼミは遊びサークルと違うんだからさ、というものです。このタイプの先生は、割合に順調にキャリアを形成している、もしくは、より条件の良い大学に転出することを狙っている先生であることが多いですね。そのため、自分の研究を第一に考えないといけないので必然的にこのタイプになります。このタイプの先生は、学生にうるさいことを言わないし、特に学生を拘束することもありません。このタイプの先生でも学生からの相談には普通に対応します。ただ、学生のためを思って東奔西走したり、教授会で孤立しながらも学生を守るなんてことはしません(前者の先生ならします)。
大学教員の常識としては、上記のどちらでもいいじゃんと考えられています。ゼミ募集等で評判の良い先生でも意外に後者のタイプであることは間々あります。肌感覚としては、後者のタイプが少し多いように思います。前者の先生も少なくはありません。ごく稀に、散々学生を拘束し、いろいろ指示したりするものの、学生の面倒見がすこぶる悪い、という教員がいます。私ども教員からしてもどうしようもない同僚教員(本音では屑教員と思っていますが)でして、当然のことながら教員間の評判も悪いですね。自分勝手で日頃から迷惑をかける教員でもあります、数は少ないのでご安心を。
同じ先生なら、学部のゼミでも大学院でも基本的に同じように対応します。研究者を目指す大学院生にとっては、上記の「面倒見の良い」の中身が、論文指導に熱心でいろいろな媒体を紹介してくれる、大学での非常勤講師先を紹介してくれる、専任教員のポストの紹介をしてくれる、という意味に変換されます。ただ、最近は専任教員のポストの紹介は、公募人事が主流になりつつある昨今ではいくら面倒見の良い先生でもなかなか困難になりつつあるので、論文、非常勤講師先、の2点に絞られます。それなりの媒体に論文が掲載されること及び非常勤講師の経験があることは院生の将来(専任教員のポスト獲得)にとってかなり有利になります。
ゼミ活動
ゼミ活動では、まず、個人報告もしくはグループ報告が求められます。学部の頃はテーマが指定されていることも、テーマが自由なこともあります。個人報告を求める先生は、個人としての能力を的確に判断したいというケースが多いでしょう、グループでの報告を求める場合は、円滑な人間関係の形成をゼミでも行って欲しいという教育的側面がありますが、教員側は、さもリードしているように見えて勉学的には丸投げの人、縁の下の力持ちの人を、意外にも見抜いていますし、グループでの勉学を通してゼミ生の人柄を見たいというのも大きいのです。ゼミにおける個人報告は、今後、大学院に進学した際にも採用されることになる手法です。そして、レベル的にも学部ゼミのレベルと、大学院マスターの講義レベル(指導教授による修士論文等の指導以外の教員による講義・演習)と概ね同じレベルを想定している教員が多いですね。
稀に、ゼミ生からの報告は一切なく、教員からの一方的な講義だけ、つまりは、ゼミの教室で大教室の講義と同じことをやっている先生というのがごく稀にいます。ご注意ください。
ゼミ活動を通して、どのような学生であるのか(人柄面:狡賢い学生か否か、狡賢い学生はほぼどの教員も大嫌いです)、勉学面はどうなのか(できる学生なのか否か)等をチェックすることになります。
ゼミの先生からの評価
ゼミの先生からの評価ですが、勉学面と人柄面からなされます。具体的には①真面目に取り組む人物か否か(さも自分がやったような顔をして他の人におしつける、他の人の手柄を横取りするような人物が嫌われます)が重要です。それから、②勉学に真摯に取り組むことも重要です。学生なのでまだまだ勉学を重ねないといけないという自覚をもち、理解をし丁寧に勉学を積み重ねること、具体的には、ゼミでの報告の際に手抜きをしないことです。手抜きをしていると、プロである教員にはすぐわかります。
基本的に研究者になっている人は、真面目な人が多いので、不真面目な人とは相いれません。まして、ゼミ報告の際に無断欠席などしようものなら大変厳しい目でみられることでしょう。要するに、下手は下手なりにまじめに丁寧に勉学に取り組んでいる姿勢を示すことが何より重要と思います。その上で、よりハイレベルなものが示すよう努めましょう。
ゼミでの報告の際に、学生間で議論になることが最も望まれることでもあります。その場合の質問への回答の仕方は重要です。また、多くは学生間で議論にならないので教員が報告者に鋭い質問を投げかけることでしょう。少なくとも、質問への回答において基本的な内容について答えられないようでは、真面目に勉強していない人だと認定されてしまいかねません。そして、こいつは基本も答えられない奴だと認定されてしまうとそれをひっくり返すのが事実上困難な教員もいます。それは極端でも、最初の報告においてその人の第一印象が形成されますので十分な時間をかけて報告することが大切です。自分が報告者でない場合、他の人の報告への質問をすることも重要ですが、質問内容はそれなりに考えた上でしましょう。
大学院進学希望がある場合(最重要事項)
みなさんに大学院進学希望ある場合、いつ・どのような形でゼミの先生に申し出ればよいのでしょうか。ゼミの先生は大学院進学にあたり、最も身近にいる・最大の味方になってもらうことが可能な力強い存在だけに、ゼミの先生の対応が気になることと思います。特に、先生の対応如何によればショックをうけるかもしれませんので、舞台裏を公開します。まず、ゼミの先生が「大学院進学希望がある人は申し出なさい」という時には必ず申し出た方がよいでしょう。このような先生は、ゼミ生の大学院進学に対して好意的ですがおまり多くはありません。特にそのような機会がなければ、個人面談の際にでも申し出るとよいでしょう。この際の最大の留意点で本ブログ立ち上げの大きな理由の一つでもあるのですが、教員によれば「研究者志望(大学教員志望)での大学院進学などやめておけ」という対応をすることがあります。但し、これは、お約束の対応でして、学生の真意を探るという観点から安易にOKとは言わないだけです。場合によれば「あなたの能力・資質からすれば困難だ」等と失礼なことを申し向けて来る教員がいるかもしれませんが、気にすることはありません。また、とてつもなく不可能なことができないと研究者にはなれないと脅してくることさえあります。例えば「院生の間に最低論文10本書けるのか、著書を出版できるのか、その上で博士論文を書けるのか」みたいな形で脅しをかけてきます。自分も同じことを言われてきたのでしょう。この段階で諦めてしまわないことが何より大事なことです。また日を改めて何度か申し出ることが重要です。そうすれば、仕方ないなという形でOKに近い対応がされることでしょう(もしくは、この段階で不可能なあれこれを申し渡されることもあります)。
現在、多くの大学院では推薦書不要ですので、たとえゼミの先生に徹底的に嫌われていたとしても、能力があれば大学院を受験し合格することは可能ですし、研究者(大学教員)になることも可能です、そういう方はおられます(能力の高い人ほど指導教授と喧嘩する傾向があるようです)。どうしてもゼミの先生と馬が合わないのならば、専門が同じ他の先生の御指導を受けるという選択も有り得ます。通常、自分のゼミ生でそれなりに真面目に勉学に取り組んでいて、人柄面で問題になるような点がないのであれば、(勉学面で飛びぬけて優秀でなかったとしても)評価するという先生が圧倒的多数です。ある先生によれば、「自分のゼミ生は、できるできないにかかわらずかわいいもんだよ」、とさえ言います。かわいいので、最初の段階で研究者になることについて厳しく学生の覚悟を問うている、と理解できるかもしれません。うるさいことをいわない先生であっても、こと自分が大学院で研究者志望の院生を指導しなければならないというのは大変重い責任を背負うという面があります。若い学生の将来を背負うという感覚を持つのです。
ですので、学生諸君が「大学教員になる道が厳しいのは十分に承知しています、50歳になっても食えない場合があることも知っています、それでも進学したいのです」と堂々と教員に言いかえして欲しいと思います。私も、最終的にはここまで申しました。こちらの覚悟を見せれば、まともな教員であればそれ以上は何も言いません。それでも何か言ってきた教員は、あまり良い教員ではありません。どうか、意欲と能力ある方が研究者(大学教員)になることを教員の下らない一言で諦めたりすることがないように願っています。
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